君の魔法にかけられたみたい

超能天気ヲタクだけど根暗人間の小言

欲が義務に変わる時







いつからだっただろうか?

「会いたい」が「会わなきゃいけない」

「観に行きたい」が「観ないといけない」
に変わったのは。


これは「会いたい」「観たい」が募りに募って知らない間にそれが自分の中で義務になっていたヲタクのお話です。






最初は年に1、2回コンサートや舞台へ行くだけ。好きな人が載っている雑誌だって買うのも年に2、3冊。
世に言う「ユルヲタ」だった私。


でも、友人の話やSNSで「本当に好きなら、応援しているならお金を出さなきゃいけない。」このフレーズを度々目にするようになってから私の中の価値観は変わってしまった。それからが早かった。


私は自分の好きな人のために、アウトラインを越えるギリギリまで懐を絞ってしまった。



何故こんなことになってしまったか。
当時、私の好きな人は今ほど人気ではなかった。それでも私の他にたくさんファンはいたのに、私は恥ずかしながら「あの子には私しかいない」そう思っていた。


だから、「私が写真やらグッズをいっぱい買ってその子のグッズがたくさん売れれば、もっと注目される。そうしたらその子も喜んでくれる。」



今思えば、幼稚過ぎる考え。
私がその子にお金を沢山注ぎ込んだところで、何が変わるのだろうか?
それに、人が注目される理由は努力して得るものではないのだろうか?きっとこれはお金では解決できない問題なのだ。




この考えが、私の中の欲が義務に変わった瞬間でした。



それから私は、気が狂ったようにコンサートや舞台へ行き、グッズを買い、好きな人を想いバンバンお金を捨てた。



ここで問題です。
この後私に何が残ったでしょうか?










それは、思い出でも幸せでもなく「虚無感」でした。



好きな人に会って幸せなはずなのに、心の中が「後悔」と「悔しさ」でいっぱいになった。


さらに、だんだんと好きな人に会った時の「新鮮味」「嬉しさ」も感じなくなってしまったのだ。



ふと思った。

「私、何やっているのだろう?」





はい!ここでやっと我に帰りました!!おっそ!!これも今だから言えますが、あの頃の私には世紀の大発見。好きな人に夢中になりすぎて、自分の中でブレーキが効かなくなっていたのだ。よく、「愛の力は偉大」なんて聞きますがまさにその通りで。本当に周りが見えなくなりました。


後々気づいたのですが、この頃の私はかなり自己中心的な行動ばかり取っていました。周りにも散々迷惑を掛けていました。


もし、私が自己奔放になって注ぎ込んだお金で自分の好きな人が注目されるようになったとしても、誰が幸せになったでしょうか?



これこそ「恐怖のヲタクマジック」

自分 < 趣味 の方程式。





もし、今、少し前までの私と同じ状況に陥っている人がいたら気付いてください。
「好きな人以前に、貴方は幸せですか?苦しくないですか?」




余計なお世話かもしれませんが、どんな趣味でも自分が楽しむことが1番だと私は思います。



思い詰めず、心に余裕を持って何も考えずクリアな目で好きなこと向き合うことで初めて「趣味」と言うものが誕生するのではないでしょうか?




好きな物を嫌いにならないように、私と同じ状況に貴方様がならないように。

心の隅に少しでも置いておいていただけると幸いです。